考察レポートの頁

 
このページでは、「大草家のルーツ探し」にかかる考察、意見、地方レポートを紹介します。
700年の時空を越えて専門家もド素人も、みんな同じ”大草”なんですから、夢や想像も交えて楽しい推論をお寄せください。

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  投稿   12

  中国地方の大草氏のルーツ

  以前中国地方の大草氏は阿波徳島の大草氏が移住した可能性が高いのではないかとの仮説を立てましたが、このたび H.P「風雲戦国史」の【播磨島津氏】の記述から「越前島津の存在」を知り、その軍門にくだり島津氏に仕え、その後越前島津氏が播磨に国替えとなった際、島津に従い越前から播磨に移住した大草氏が居た可能性も十分ありえる話で、そうなると、中国地方の大草氏は上記の阿波徳島を出自とする大草氏だけではなく三河ー越前ー播磨ー中国移住となった大草氏が別に存在するとの仮説が別に立てられられるのではないか言うことです。
2007. 2.18  「掲示板」への投稿    大草  仁氏
  投稿   11

  薩摩島津藩に仕えた大草氏の謎

  大草氏の出自は本来藤原氏支流とされ、元々朝廷側の武家のはずであり、承久の乱で後鳥羽上皇側の朝廷側につき敗れた結果、その後三河を治めた足利氏や越前若狭を治めた島津家の軍門にくだり1326年に鎌倉幕府の北條執権が倒され、やがて足利尊氏と後醍醐天皇が対立する南北朝時代には全国の大草家は足利尊氏側の北朝につく大草家と後醍醐天皇側の南朝に付く大草家に分かれて行くようです。
2007. 1  「掲示板」への投稿    大草  仁氏
  投稿   10

  大草家 概論

  研人さん,初めまして!  現在高校生でしょうか、若い人に大草氏のルーツに興味を持っていただき、嬉しく思います。
  大草氏は史跡(大草城址等)や無形文化(大草庖刀式や武家料理書)遺産はありますが、それらがいつ誰によって作られたのかの史料が少なく、まだまだ謎がたくさんあります。今後とも興味を持ち続けてください。…と
2007. 1  「掲示板」の研人君への返答    大草  仁氏
  投稿   9

  足利氏と大草氏の関係

  足利家は源氏の名門で始祖は源 義家の3男源 義国が現在の下野国足利荘(現在の栃木県)を領有し子孫が初代足利義康姓を名乗って足利家の始祖となったようです。一方の大草氏は同じく関東武士で同じ下野の出自かといえば、全くその状況証拠は小生の浅学では見当たりません。
  よって大草家と足利家の最初の出会いの場は荒っぽい推測ですが下野(栃木県)を含めた関東ではなさそうです。そして鎌倉北條執権時代に3代目足利義氏(尊氏の5代前)が北條泰時の娘婿となり、1221年に三河の守護職に任ぜられ、以後足利家は8代目尊氏時代を経て三河尾張地域で勢力を拡張しこの地域ほぼ足利一族で固めて行くようです。…と
2007. 1  「掲示板」への投稿    大草  仁氏
  投稿   8

  大草流包丁式

  佐賀市の佐嘉神社では、毎年の大晦日に「鰤祭」という神事が行われます。
  包丁に見立てた神矢の矢尻で鰤の身に切れ目を入れる「調理の儀」ですが、これは朝鮮出兵から帰陣する佐賀藩祖の鍋島直茂公の船に鰤が飛び込んできたのを「武威が揚がった」と喜んだことに由来すると言われています。
  今年の正月には、更に、【大草流包丁式】の報道がありました。
  「初詣で多くの参拝客が見守る中、家元の井上玉舟さんが縁起物のコイを豪快にさばいた」ということです。
  「大草流は武士道から生まれた流儀の一つで、式には狩装束を身にまとい烏帽子をかぶった料理人8人が参加し、魚に直接手が触れないようにまな箸で抑えながら包丁刀を入れ、雅楽の音色に合わせ、武士道の流れをうかがわせる迫真のコイさばきを披露した。」とありました。
  以前は佐賀で、「大草流料理教室」という看板を目にしたことはありましたが、関東にあると思っていた【大草流包丁式】が九州にもあるということを嬉しく思いました。
2007. 1   @nkou
  投稿   7

  喜連川足利家と当家

  始めまして栃木県さくら市喜連川在住です。私は十八代目の53歳。
  当家は喜連川足利家とともに歩んできました。足利家と喜連川のかかわりと当家の近代史を紹介します。

  『皆さんの一族の中にこのような家があることをお知らせできること嬉しく思います。』…と

2006.11  「掲示板」への投稿    大草  尚氏
  投稿   6

  ルソン島にみたまをたずねて

(大草睦子著)
  『上記題名の本(フィリピン戦跡巡拝記録)を先日の第2回大草一族の全国集会の祭、大阪府在住の大草久夫氏(宮崎県都城出身:小生とは遠戚関係)からお借りして読んでみた。
 涙無くしては読めない戦跡巡拝記録(117頁)である。そのクライマックス部分を久夫氏の了解を得たので一部抜粋して掲載したい。』…と
2006.10  「掲示板」への投稿  大草  めぐむ氏
  投稿   5

  県別  大草家の家紋

  何れにしろ石見御神本支流の大草氏も遡れば藤原氏であり、また阿波徳島の流れの大草氏の可能性もあり根は藤原氏流の大草氏につながっており、以上で日本全国の大草さんは同根であると断定できるのではないでしょうか 』…と
2005. 6  「掲示板」への投稿  大草  めぐむ氏
  投稿   4

  琴柱に三階菱の発生の謎?

  これまで通説だった「琴柱に松皮菱」の家紋に、淳一さんところの「琴柱に三階菱」が現れたことからめぐむ氏は、『小笠原家の家紋を調べたら単なる「三階菱」なのです。両家が何かの事情で姻戚関係を結ぶ際に、家紋も大草氏の琴柱と小笠原氏の三階菱を上手く組み合わせて「琴柱に三階菱」の家紋を新たに作成したものと思われます。』…と
2004. 6. 6  「掲示板」への投稿    淳一氏  ←  めぐむ氏
  投稿   3

   旗本・大草弥五郎の子孫かも?

  淳一氏の大祖父は小笠原家の江戸屋敷(麻布)で生まれたと謄本に載っているということから、めぐむ氏は「源氏の系統小笠原氏から嫁を迎えるなどして、関係維持に努めた結果、江戸幕府で旗本として残り得たのかも分かりません。」と…
2004. 5. 29  「掲示板」への投稿    淳一氏  ←  めぐむ氏
  投稿   2

  藤原姓、大草氏の流れではないか?

  「大草家のルーツ探し」のHomePage案内葉書に応えて、@nkou宛に達筆でお考えを寄せていただきました。
2004. 5. 27投函  一広氏(下関市在住)
  投稿   1

  大草一族は漢方医?

  康弘さんところの家紋が「丸に抱き角」であるところから、めぐむさんの推論が炸裂します。
  『鹿の角とか牛の角など漢方薬の薬材ではなかったでしょうか?よって漢方医として、その中で一番かっこよい鹿の角を紋様としたのではないでしょうか? 』
2004. 5. 27  「掲示板」への投稿    康弘氏  ←  めぐむ氏

 
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