考察レポートの頁

12    中国地方の大草氏のルーツ

2007. 2.18  大草 仁(神戸市在住)…掲示板に投稿

  以前中国地方の大草氏は阿波徳島の大草氏が移住した可能性が高いのではないかとの仮説を立てました。
  簡単にリピートとしますと、阿波の守護職であった小笠原氏に小笠原との姻戚関係の縁で仕えていた大草氏が居て、1281年の弘安の役(元寇)勃発で小笠原長房の次男(長規)が博多に出生し武勲を立て、鎌倉幕府北條執権の論考行賞で石見の国(島根県)の邑智(おおち)郡を賜り、そこに移住し、後に尼子に仕え、更に毛利に仕えてます。
 
  その時小笠原長規に連綿と従い島根に移住した大草氏が居て、その後も小笠原氏に何代かにわたり毛利氏にまで仕えて行った大草氏が現在の中国地方の大草一族の祖先ではないかとの仮説を立てたと思います。
 
  今回越前島津の存在を知り、その軍門にくだり島津氏に仕え、その後越前島津氏が播磨に国替えとなった際、島津に従い越前から播磨に移住した大草氏が居た可能性も十分ありえる話で、そうなると、中国地方の大草氏は上記の阿波徳島を出自とする大草氏だけではなく三河ー越前ー播磨ー中国移住となった大草氏が別に存在するとの仮説が別に立てられられるのではないか言うことです。
 
  以上でこのホームページが開設されてから約3年間、各地の大草家の発祥の流れを見てきましたが、私の中では、1221年の承久の乱で三河で足利氏の軍門に下る以前の大草氏のルーツの問題と佐賀県相知町佐里の大草一族(@nkouさんのご先祖)のルーツを除いて、概略三河の大草氏に繋がる系統の仮説が整理できたように思います。
 
  次回は各地の大草氏が三河をルーツとしていることの仮説の整理をしてみたいと思います。
 

 
 
 
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