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作品名;  薩摩おごじょ…女たちの夜明け 著  者;  吉井 和子 発行社;  春苑堂出版

  鹿児島では「男尊女卑」がまだ話題に上る。県の調査で「男尊女卑の気風が残っている」と回答した人が
42%もいるのだ。男尊女卑の考えがなぜ鹿児島県で特に強かったのかその背景がよく描かれている。
  
  「男性を尊び女性を劣ったものとする思想はもともと仏教に古くからあった。それに江戸時代、幕府が封建体制を維持するために広めた儒教の倫理も男尊女卑を説いた。しかし、鹿児島の女性達を縛っていたものは、仏教や儒教の道徳だけではなかった。それは鹿児島の風土と歴史そのものだった」と書かれている。
  
  九州の最南端に位置する鹿児島は台風の常襲地帯。その上火山灰台地は、水田耕作はもちろん畑作でも十分な収穫をあげ得ない。シラス土壌がもたらす崖崩れ、火山噴火の続発など災害も多い、厳しい自然条件である。また、中世以降、明治維新まで700年もの間、島津氏という同じ大名が統治したが、政権を保つにあたり、強力な身分制度をしき、武力を重んじたため「女・子ども」が軽視された。
  薩摩藩はいつ幕府にねらわれるかわからない状況にあったことから、常に武を重んじ、戦いに備えたため、戦力にならぬという理由で女性蔑視が生まれたようである。
  また、明治4年の調べで平民対氏族の人口比は薩摩の2.8に対し全国16.5。全国では平民16人で1人の氏族を養ったのに対し、低生産に泣く薩摩では3人以下の労働で1人の氏族を養ったということであり、庶民にとっていかに貧しい生活が強いられたかがわかる。
  
  藩の支配が厳しく、暮らしも貧しく生きるのにやっとで、女も人間!などということを考える暇もないというのが正直なところだっただろうとある。   女性にとってなんと生きにくい世の中だったことだろう。
  しかし著者は、表向きはともかく、男女協力しなければその日その日が生きられなかった。武士の家庭でも、男児を産み、一人前の武士に育てる任を負うものとして女性は尊重されたと書いている。夫の御奉公のために妻は一身を投げ出し、母親はプライドを持って我が子の教育にあたった。忍従の苦しさを献身の喜びに代えて・・・ともある。
  
  薩摩おごじょたちは、南国の明るい太陽の下、忍従を強いられながら逞しく生きた。今を生きる私の友人の薩摩おごじょたちも逞しく明るい。一見、夫に従っているかに見せて、実は意のままにイキイキ生きている女性が多い。
  鹿児島の風土と歴史から生まれた男尊女卑の理由を知った。さて、豊かで自由な時代の女性はどう生きるべきか・・・参考にして欲しい本である。                                                               

 
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