日赤病院で、親父が死んでゆくのを見守った。先進の救急施設では、患者につながったデータが波形の画面や数字で表示されてゆく。
一刻、一刻と細まってゆく親父の命を見守っていると、人の命の儚さは勿論、むしろ生かさせてもらっていることの方が不思議な感じがしてきた。
いつもお寺様で聴かされているが、その現実を目のあたりにしてみると、残酷なまでに人間の有りようを考えさせられた。
当の本人は眠らされているから、自分が死につつあるとは思っていまい。内蔵の動きや血の流れや呼吸が次第に弱まってゆく。これに痛みがなければ、「死」はそれほど怖いものではない。
むしろ『生きているうちが華』なのだ。『残されている寿命の中で、どう生きるか?』を間もなく『古稀』となる自分としては、それこそ真剣に考えなくてはならない喫緊の課題となった。
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