(携帯対応)  親友(博多に移住)ゆうゆうの記 参照日誌

 2月24日(金)
  最近は毎年のことになっているが、河津桜の誕生日満開を披露している。やっと桜が咲いた
  記事の病院から、午後は遺族会での三役会議で来年度からの役員構成を話し合い、夕方は悠真との合同誕生会。やっと自分の名前が読めるようになった5才の悠真の独り舞台になった。

         

 2月23日(木)
  今日は皇太子の誕生日。今上殿下は円滑な譲位を望んでいられるのに、国会議員どもは変な小理屈を練り回して議論の進捗は見られない
  来年からは、今日が天皇誕生日で祝日となり、明日が@nkouの誕生日、その翌日は孫の悠真の誕生日となるはず。この一週間は、我が家の祝日行事が続くこととなる

 2月22日(水)
  家の前の公民館に、県内の温泉から大型バスが迎えに来ている。来年度の老人会役員としては、(どうせ、7、8人だろうから、再検討しなければ…)と運転手に参加予約を尋ねに行った
  「30人様です」という返事に驚いた。会員100人のうち30人とは、なんとまぁ老人たちは元気なものだ。世話役として、この一日温泉にも付き合わなければいけないなと観念した次第。

 2月19日(日)
  年に一度の「相知町民ゴルフ」の日。絶不調の時期だが、参加するだけはした。各部落 7名以上のスコアで順位が決まったが、第四位に終わった。
  夕方の散歩は14,000歩を越えて、ちょっと疲れた。団体のスコアにも貢献できなかったが、反省会では一応呑んで来た。すぐに床についたが、大河ドラマは観ずに眠った

 2月17日(金)
  「ミャンマー慰霊訪問団のつどい」は、すべてがうまくいった。キャンセルも発生せず、靖国神社に全員が揃って、懇親会も呑み放題で予算内に収まった。三年後には、またミャンマーに行けるので、4人は再会を約した
  息子が会場に来てくれて、暫く座をはずして会食した。別れ際に、「今度は彼女を連れてくる」と言ったので、自宅に喜びの電話を入れた。二日目は浅草~スカイタワーと歩いたが、修学旅行生で一杯だったので、登らずに帰って来た。帰宅 23:30

 2月15日(水)
  いよいよ一昨年の「ミャンマー慰霊訪問団のつどい」が明日に迫った。15人の団員中、参加は9人だけだが(九州からが主力で、上京の意味がない)、みんな喜んでくれるだろう
  靖国神社に予約したり、ホテルとの交渉は手間取ったが、名札や名簿、看板も作ったし、準備は完了のはず。息子も会場に顔を見せてくれることになった。…ミャンマー慰霊訪問団

 2月14日(火)
  今年のさくらの開花予報が、博多地方で3月26日と出ている。先日、実行委員会が開かれたが、五回目となると90人の世話役も手慣れたもので、てきぱきと役割分担を決めていた
  参加予約は、年賀状やメールでまだ50人程だが、開花情報が近づいたら参加が増えるだろうと、炊事係は、例年どおりの400食を準備することにした…さくらの開花予報

 2月12日(日)
  遺族会の女性副会長と、来年度の役員づくりに回った。一人は今年から会員になった方に、女性部副部長へのお願い。ためらいながらも、会員が多い女性部の後継者として承諾して頂いた。
  もう一方は肝心の会計係。こちらは同級生でもあり半ば強制した。今後の幹部候補者だから、一度は通過して貰わねば困る。自分としても、これで、村の公民館や老人クラブの役員を引き受けできる体制が整った。

 2月11日(土)
  長い間、コスモスの写真で失礼してきましたが、Top-Pageを更新しました。「建国記念の日」の今日、相知地区の戦没者慰霊の行事が行われた。
  来賓として呼ばれたので、戦後72年の世相と天皇退位のことが政治の世界で論じられていること、また、この日、総理がアメリカのトランプ新大統領と会談しているので、日米関係や恒久平和につながれば良いと挨拶して来た。

 2月 9日(木)
  先日、娘のママが病院に行きたいと言うのに、孫の悠真は絵本に夢中で「お留守番でいい」ということで、二人だけのお留守番になった。二人にとって初めての体験となった
  ときどき絵本の相手をしたり、トイレの声掛けぐらいはしたが、初めての二人暮らしに、こちらの方が緊張した。あとでの話で、「じいちゃんがお酒を呑みに行くと寂しい」などと聞くと、涙が出るほど嬉しくなった

 2月 6日(月)
  今日は 6人いるゴルフ仲間のうち2月生まれが2人いるので、終日、誕生祝いの一日だった。ゴルフは飛距離が伸びず、相変わらずの低調だったが、最終コースの2球ほどは希望が見えた
  夜の部は、相変わらずで馴染のスナックを借り切って、心尽しの料理で懇談した、メンバーの一人は独り暮らしで、「正月以来のご馳走だ」と、今月は祝う側なのに一人悦に入っていた

 2月 4日(土)
  昨夜の歴代区長会では、次期村の役員もすんなり決まって、自分にも公民館長の役が廻って来た。ところが、大変なことが起こっていた。
  鬼子岳のお茶畑や昔の段々畑を、キウイ栽培の一大造園にしたいと買収計画があっているとの区長の報告だった。18haの広さで地権者は200件を越えるという。まさか、廃棄物処分場への計画じゃあなかろうかと、懇親会に移っても議論は続いた

 2月 3日(金)
  07:00 いつもの通り、パソコン工房に登ってメールのチェックをしたが、通じない。ちょっと慌ててHomePageを試したが、ここも駄目だった
  そう言えば、工事の通知があっていたのを思い出した。少し遅れて30分後にはOKとなった。と、なると、Internetが通じないと今後の人生も無くなったと同じだ。と、感じた次第。今夜は、来年度の村の役員を決める歴代区長会

 2月 1日(水)
  2年前に終わった脳動脈瘤手術の事後観察を三ヶ月毎に受けてきたが、今日の MRI検査の結果、無罪放免のこととなった。40分間もの間、頭を固定されてピィピィガーガーの騒音から解放されての結果である
  先生の診察の際に見せて貰ったが、二度に分けて手術された頭の中が見事に輪切りにされていた。手術痕はきれいに残っていて、そのほかに、脳内の血液の流れに異常はないという見立てであった。これで頭の中がサッパリした

 1月30日(月)
  昨日から遺族会役員の研修旅行。そのために唐津市長・市議選挙には初めての不在者投票を済ませた。行先は馴染の多い島原~天草へのバス旅行
  バスに乗ったらすぐに酒が回り、選挙結果を聞くまで呑み続け、まさに苦悶の研修旅行だった。オール唐津のメンバーだったから、選挙結果については悲喜こもごもだったろうが、その成果は内に秘めた親睦旅行だった

 1月28日(土)
  唐津市長・市議選挙の最終日となり、選挙カーからの音量も最高調となった。中には小池都知事ばりにガラス張りの選挙カーも登場した。
  幸い落選した自分としては、「選挙戦」の中に居ると緊張する。地元からの立候補もあり、地域も緊張している。明日から、また静かな田舎に戻るけど、空き家ばかりが目立つ我が村も何とかして貰いたいものだ

 1月26日(木)
  昨日の朝は、二階までの水道管が凍りついて、昼頃まで水道が使えなかった。長崎・福岡とも僅かに積雪のニュースがあったが、当地方は冷たい風ばかりで幾分しのげた
  今日も警戒したが、凍結までには至らなかった。むしろ、昼間は温かい気候だった。丁度、この頃がこの地方の「大寒」の時季らしい。  昨年の大雪の様子と比較して見ると、「立春」が待ち遠しい

 1月22日(日)
  稀勢の里の横綱昇進が確定した。しかも、あの白鵬に勝った瞬間の表情が、当然のような顔つきだった。しかし、場内近くにいた両親の、しかも母親の顔は涙が溢れていた
  15年間の苦節に耐えてきた彼は「日本人」横綱としても切望されてきた。今後も「相撲道に精進したい」と語っていたが、これからも、孤独な横綱業に挑戦してくれることだろう。大関を陥落する琴奨菊に負けたのも良かった

 1月20日(金)
  これまでカラオケは村田英雄一本で通してきた。持ち歌を増やしたいと思い、島津亜矢の「帰らんちゃよか」を準備したが、変えた車ではCDを聞くことができない
  ヤマダ電器でカセットテープを買ってきて、繰り返し聞いとくデモテープを作った。俺は九州弁が何度も出てくるとこが好きなんだ。このテープを何度も聞いて、自然と歌えるようになりたい

 1月18日(水)
  昨夜は大失態をやらかした。郷の夕食を忘れていたのだ。道理で、通夜の帰りに大喜びしたのに、そのことを思い出さなかった。たぶん最初のことだろう
  今朝の散歩の際に、夕食のことを詫びたのだが、郷には変わりがなかった。通夜のこともあり、朝日のもと、松浦川を溯るカモの親子の動きに「生かされている命」の有難さをしみじみと感じさせられた今朝だった

 1月16日(月)
  元町長の訃報が届いた。中学校の同級生で、いよいよ我々の時代か。元気坊だったので、同級生の間でもショックが走っていることだろう。
  今朝は二階への水道管が凍っていた。今年一番の寒波だが、仲間からゴルフの誘いがあっている。「随分、しとらんだろう?」折角の誘いだから、背中にホッカイロを貼って、頑張ってみよう!。

 1月13日(金)
  運転免許の更新が近いので、多久の自動車学校で高齢者講習を受けた。さっき眺めた図柄を仲々思い出せない。記憶力の低下は相当のものだったが、認知症まではなかった。
  次は目の検査。視野がかなり狭くなっているし、特にライトを受けてからの回復力は実際に感じているところだった。場内の実技は、Sクランクや車庫入れを久しぶりにこなした。午後一杯を使ってたっぷり「高齢者」を学んできた。夕方は「さくらウォーク」の幹部会が開かれた。

 1月11日(水)
  昨夜の有線放送で、区長時代の役員をしてくれた10才下の若いヤツが死んだのを知った。今日の葬式には出れないので、病院に行く前に式場に立ち寄り弔意を表わした
  病院では、頭の動脈瘤の事後確認。術後二年を過ぎたので、もう薬は要らないかな?と医者は悩まれたが、2月に MRIをとってからのことになった。もう少しで、このことは過去の話となる

 1月9日(月)
  松の内がすんで、また、平常並みの暮らしに戻った。老人会の会長は他の人が引き受けたそうだから、会計ぐらいを覚悟しておけばいいだろう
  公民館長としての業務は、主事として始め、7年間続けてきた佐里新聞の復刊が頭に浮かんでいる。遺族会長は副会長に譲ろうと思う

 

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