(携帯対応)  親友(博多に移住)ゆうゆうの記 参照日誌

 1月18日(水)
  昨夜は大失態をやらかした。郷の夕食を忘れていたのだ。道理で、通夜の帰りに大喜びしたのに、そのことを思い出さなかった。たぶん最初のことだろう
  今朝の散歩の際に、夕食のことを詫びたのだが、郷には変わりがなかった。通夜のこともあり、朝日のもと、松浦川を溯るカモの親子の動きに「生かされている命」の有難さをしみじみと感じさせられた今朝だった

         

 1月16日(月)
  元町長の訃報が届いた。中学校の同級生で、いよいよ我々の時代か。元気坊だったので、同級生の間でもショックが走っていることだろう。
  今朝は二階への水道管が凍っていた。今年一番の寒波だが、仲間からゴルフの誘いがあっている。「随分、しとらんだろう?」折角の誘いだから、背中にホッカイロを貼って、頑張ってみよう!。

 1月13日(金)
  運転免許の更新が近いので、多久の自動車学校で高齢者講習を受けた。さっき眺めた図柄を仲々思い出せない。記憶力の低下は相当のものだったが、認知症まではなかった。
  次は目の検査。視野がかなり狭くなっているし、特にライトを受けてからの回復力は実際に感じているところだった。場内の実技は、Sクランクや車庫入れを久しぶりにこなした。午後一杯を使ってたっぷり「高齢者」を学んできた。夕方は「さくらウォーク」の幹部会が開かれた。

 1月11日(水)
  昨夜の有線放送で、区長時代の役員をしてくれた10才下の若いヤツが死んだのを知った。今日の葬式には出れないので、病院に行く前に式場に立ち寄り弔意を表わした
  病院では、頭の動脈瘤の事後確認。術後二年を過ぎたので、もう薬は要らないかな?と医者は悩まれたが、2月に MRIをとってからのことになった。もう少しで、このことは過去の話となる

 1月9日(月)
  松の内がすんで、また、平常並みの暮らしに戻った。老人会の会長は他の人が引き受けたそうだから、会計ぐらいを覚悟しておけばいいだろう
  公民館長としての業務は、主事として始め、7年間続けてきた佐里新聞の復刊が頭に浮かんでいる。遺族会長は副会長に譲ろうと思う

 1月7日(土)
  例年どおり鬼火焚きをした。孟宗竹は隣から分けてもらったので恰好はついた。孫達が餅の焼けるのを待っていたので、余計に威勢のよいじいちゃんを演じた
  昭和天皇の崩御の朝だったことを思いながら、後期高齢者の歳になったことだし、裏山の竹も尽きたので今年までの行事かなと考えたりもした

 1月5日(木)
  夕方、老人会三役が訪ねてきた。「会長のなり手がない。このままでは、解散しかない」ということだった。解散は困るので、役員はするが、会長にはまだ先輩がいると答えておいた
  遺族会長と公民館長に加えて老人会とはちょっと大役すぎる。会員は万一の場合の「弔辞」に備えて退会できずにいる。会長には、その「弔辞」が難点となっているのだ

 1月4日(水)
  正月三日は穏やかな日々を過ごした。今日は「仕事始め」の日で、市役所支所に「さくらウォーク」会長と年始挨拶に行った。
  各地からの参加申し込みの電話を受けて貰う趣旨で、快諾を受けたので、5回目となる今年の参加を呼び掛ける年賀はがき280通を投函した。これまでの参加者への年賀案内状が届くはずである

 1月1日(月)
  昨夜の大晦日は例年どおりの除夜の鐘を撞いて終わった。孫たちは佐賀の家に行っているので、二人だけの年始で、今年は始まった
  村の年始祭にも行かずにいると、隣の仲人をした一家がやって来た。夕方からは弟達一家との年始。今年の話題は、定年を迎えた末弟の再就職の話題で賑わった

 12月31日(土)
  昨年は岸岳山中を松を捜して駆け回ったので、今年は向かい山にしようと思っていたら、分家が材料を持ち込んでくれた。ラッキィ!
  残りの竹は、鬼火焚きの分を含めて向かい山で取った。ついでに餅飾りに使うウラジロも取れた。あとは、紅白を観ながら年越しソバの調理役。今年も良い年でした。有り難う!

 12月30日(金)
  苦(九)の餅をさけて今日餅を撞いた。撞くといっても機械がブーンと回ってくれるから、裏庭にカマドを据えて、三つのセイロと一つのおコワを蒸すだけ。
  @nkouは大根摺りでの餅すすりが好きなのだ。最近は、丸めた小餅はすぐにサランラップに包んで冷凍する。そうすると、いつでも解凍して食える。明日の大晦日は門松つくりだけ

 12月28日(水)
  今年は年賀状がスムーズにいったと思っていたら、ゴルフ仲間がプリンター不調を告げてきた。インクが固まっているらしく、仲間のでしのいたが、ドライバー呼び込みに苦労した
  更にもう一人が、今年の年賀状を持ち込んで、表裏ともつくってくれと頼んできた。幸い50枚ではあったが、なんとか仕上げてやった。今年は人の年賀状で苦労した

 12月25日(日)
  今朝は孫達の声で目が覚めた。「じいじい、サンタさんが来たよ」、四才の悠真は大きな玩具の箱を、二歳の海翔も大きなダンプを両手一杯に抱えて枕元まで降りてきた。
  昨日まで、サンタさんが来るか心配だった二人が、満面に喜色を浮かべて声が高い。グズっている時も、「サンタさん」の声で良い子を通してきた、この子達にあと何年X'masが来るだろうか?

 12月25日(日)
  今朝は孫達の声で目が覚めた。「じいじい、サンタさんが来たよ」、四才の悠真は大きな玩具の箱を、二歳の海翔も大きなダンプを両手一杯に抱えて枕元まで降りてきた。
  昨日まで、サンタさんが来るか心配だった二人が、満面に喜色を浮かべて声が高い。グズっている時も、「サンタさん」の声で良い子を通してきた、この子達にあと何年X'masが来るだろうか?

 12月23日(金)
  年賀状をつくりながら、「ナバロンの要塞」を見た。衛星放送だからコマーシャルもなく、160分の映画をたっぷり味わえた。
  岸壁をよじ登るシーンで急に飛び立つ鳥にギョっとしたところだけ覚えていた。1961年完成というから昭和36年、佐賀での上映はその後にしても、勤め始めた頃に観たんだなぁ…

 12月22日(木)
  「B型肝炎」の結果。注射針からの伝染なら C型で補助金が貰えそうだが、オレのは母譲りの物。綿密なエコー検査の結果、悪さをしている様子はないという診断だった
  毎晩、三合は呑むのに、肝臓も弱ってはいないらしい。もう一方の病院でも指摘されたが、「腎臓がちょっとね」だと。念のために半年後にチェックすることで決着

 12月20日(火)
  今日は大ボケを発してしまった。よくスケジュールを忘れてしまうから、必ずメモ帳に記しておく。メモも病院だし、薬も残り少ないから迷わず血圧の薬を貰いに行った
  ところが、日赤から電話があったという。三ヶ月前に予約した「B型肝炎」の最終確認の日だった。慌てて、明後日に伸ばしてもらうことにしたが、あぶないところであった…

 12月18日(日)
  お寺の門徒会館の落慶法要が営まれた。外構工事も見事に間に合って、いつも以上の門徒が歓声を挙げていた。あとは、独身の和尚の結婚問題だけが残された。
  小さい頃は、幾部屋にも別れたお寺の庫裡が不思議で、よく遊びまわったものだ。戦後のこととて、疎開して来た人の部屋もあって、厚着の着物を数えられたりして、可愛がられた。

 12月15日(木)
  お寺の門徒会館落慶法要がまぢか。引越しの加勢に行っていた連れ合いが言うことには、持っていた古いテーブルの裏に、寄付者として自分の名前が書かれていたのに驚いたという話
  おフクロも長いことお寺の役員をして、いろんな機会に寄付もしていた。その中で、どんな気持ちでうちの名前を刻ませたのかが面白くて、つい昔のことを思い出した…

 

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