(携帯対応)  親友(博多に移住)ゆうゆうの記 参照日誌

 3月26日(日)
  さくらウォークには160人の参加者があった。桜の開花にはあと一週間が必要だが、顔なじみになった人々の笑顔に救われた感じだ。反省会では、みんなを誉めてあげた
  酔いも深かったが、大相撲の千秋楽には新横綱の奇跡の頑張りがあって、この時ほど「君が代」の有難さに感激したことはなかった。涙をポロポロ落としながら拍手した

         

 3月24日(金)
  昨日からさくらウォークの準備に入った。5回目となると参加者も少なくなるだろうが、ゼッケンや完歩証など余裕をみて印刷した
  今朝はメールからの申し込みがあった。明日は現場での準備会。今からでも間に合いますよ~ウォークのHomePage

 3月21日(火)
  公民館長としての初仕事で、事務引継ぎ。幸い主事さんが気の合う人に恵まれて、前任者との熱心な引継ぎ模様を黙って見守っていた
  もう10年経っているから忘れていることも多いが、公民館主事とは、これまで経験した中で最も多様な雑務係だと思っている。この二年間、彼とうまくやってゆかねば…

 3月20日(月)
  次のお仕事は、日曜日の「さくらウォーク」の準備。今年で第 5回を迎えることになるが、開会を待っている間に、これまでの大会の模様を映写したいということだ
  もう忘れているPowerPointを改めて導入して、懐かしい写真の中から選んでいる。その操作を探りつつやっているが、これこそ「立派なボケ防止」になると励んでいる

 3月17日(金)
  明日は公民館総会、この一週間、八ミリのデジタル化に取り組んできた。総会が終わって、昔の佐里の映画をしてくれと頼まれているからなのだ
  フイルムは、あまり公開していない『よみがえる村』に決めた。今では世帯廻りが無くなった40年前の「組内の花見」紹介だ。亡くなった人たちが愉快に呑んでいて、みんな喜んでくれるだろう

 3月14日(火)
  唐津市連合遺族会の会長会が開催された。孫にあたる青年部の結成が、中央や県組織での結成が急がれていて、末端でのとまどいが表面化した形になっている
  各町とも本体の高齢化に追われ、財源的にも存続が危ぶまれている。そのためにも青年部の結成が待たれるのだが、そのジレンマがもどかしい会議となって、結論は持ち越された

 3月11日(土)
  まだ満開が続いている河津桜につがいのメジロが遊びに来ている!
  あわててカメラを取りに行った。200mmの望遠レンズを付けて、半時間ばかり良いショットを狙った。生涯、稀にない瞬間を見てください!河津桜にメジロ

 3月10日(金)
  八ミリのパソコン変換に「さょうならSL」の一本が完成した。トーキー変換装置を買っていたのを思い出した。見事にパソコンの中で映像と音声が復活した。  ☆\(^0^)/☆
  夜は「佐里の想い出」グループに初参加した。歴史的な出来事をまとめて発刊しようとする 9人の愉快な仲間達で、会合の後は1,000円で呑むというのも、また良かった!

 3月 9日(木)
  パソコン工房に籠り続けて、八ミリのパソコン変換に取り組んでいる。トーキーのカセット録音で、ハタと困りヤマダ電器に行ってみた
  昔、音声編集に熱中していた頃は、機器を直接つなぐコードを使っていたものだが、この頃の録音機にはそれがない。マイクを通して録音する物ばかりだ。店員さんに尋ねたが無理だった。

 3月 6日(月)
  八ミリ映賀のデジタル変換に追われている。よく出来たもので、秒速18コマの画面を映写しながら一コマずつ撮影してゆく。時間はかかるが、セットするとあとはオートだ
  短編ものを仕上げたので、プロジェクターで映写してみると、見事に拡大できた。あとはフイルムに付いているトーキーだが、これは映写機が元気なうちにカセットに録音しなければいけない。リップシンクロ(唇に合わせる)は無理だが、子ども達に残されるだけで良しとしなければ…

 3月 4日(土)
  今日から八ミリ映写の準備に入ったが、映写機が動かない。長い間、放っていたので裏蓋を開けて油を抽入しランブを替えてみたら、なんとか動くようになった
  公民館の総会では「昔の佐里の様子」を映写して欲しいという要望もあっているから、フイルムの整理を急がないと…先々映写は無理だから、フイルムデータをパソコンで見えるマシンも準備している。

 3月 3日(金)
  朝の散歩で「今朝はお稲荷さんコースかな」と考えていると、急に郷は川沿いのコースをとり始めた。鴨の群勢がすっかり成長して、数十羽が水と戯れていた…  郷の散歩道
  ダゼ橋からイカダ橋までの間に白鳥は見当たらなかった。3/26のさくらウォークも近いのに、上流の鶴田橋付近に移動したかもしれない。歩数は朝だけで 4.150歩に上がった。

 3月 2日(木)
  待ちわびていた三月になった。連れ合いから頼まれていた前の畑の耕耘をすませた。春ジャガを植え付けたいと言うので、丁寧に耕した
  信用金庫の支店長が転勤となったので、送別ゴルフ開催の往復はがきも出した。彼は戦没者の孫に当たり、遺族会で準備を進めている「孫の会」青年部長に予定している人物でもある。

 2月28日(火)
  免許証の更新は、誕生日が過ぎても一ヶ月は認められている。連れ合いの更新日も近いから、一緒に県試験場まで手続きに行った
  高齢者の特別講習を受けていたから、半時間で金ラベルの免許証が貰えた。但し、これからの更新は三年刻みだ。もう一回は良しとしても、八十越えたらボケていないか、それが問題だ

 2月24日(金)
  最近は毎年のことになっているが、河津桜の誕生日満開を披露している。やっと桜が咲いた
  記事の病院から、午後は遺族会での三役会議で来年度からの役員構成を話し合い、夕方は悠真との合同誕生会。やっと自分の名前が読めるようになった5才の悠真の独り舞台になった。

 2月23日(木)
  今日は皇太子の誕生日。今上殿下は円滑な譲位を望んでいられるのに、国会議員どもは変な小理屈を練り回して議論の進捗は見られない
  来年からは、今日が天皇誕生日で祝日となり、明日が@nkouの誕生日、その翌日は孫の悠真の誕生日となるはず。この一週間は、我が家の祝日行事が続くこととなる

 2月22日(水)
  家の前の公民館に、県内の温泉から大型バスが迎えに来ている。来年度の老人会役員としては、(どうせ、7、8人だろうから、再検討しなければ…)と運転手に参加予約を尋ねに行った
  「30人様です」という返事に驚いた。会員100人のうち30人とは、なんとまぁ老人たちは元気なものだ。世話役として、この一日温泉にも付き合わなければいけないなと観念した次第。

 2月19日(日)
  年に一度の「相知町民ゴルフ」の日。絶不調の時期だが、参加するだけはした。各部落 7名以上のスコアで順位が決まったが、第四位に終わった。
  夕方の散歩は14,000歩を越えて、ちょっと疲れた。団体のスコアにも貢献できなかったが、反省会では一応呑んで来た。すぐに床についたが、大河ドラマは観ずに眠った

 2月17日(金)
  「ミャンマー慰霊訪問団のつどい」は、すべてがうまくいった。キャンセルも発生せず、靖国神社に全員が揃って、懇親会も呑み放題で予算内に収まった。三年後には、またミャンマーに行けるので、4人は再会を約した
  息子が会場に来てくれて、暫く座をはずして会食した。別れ際に、「今度は彼女を連れてくる」と言ったので、自宅に喜びの電話を入れた。二日目は浅草~スカイタワーと歩いたが、修学旅行生で一杯だったので、登らずに帰って来た。帰宅 23:30

 2月15日(水)
  いよいよ一昨年の「ミャンマー慰霊訪問団のつどい」が明日に迫った。15人の団員中、参加は9人だけだが(九州からが主力で、上京の意味がない)、みんな喜んでくれるだろう
  靖国神社に予約したり、ホテルとの交渉は手間取ったが、名札や名簿、看板も作ったし、準備は完了のはず。息子も会場に顔を見せてくれることになった。…ミャンマー慰霊訪問団

 

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