唐津人形浄瑠璃保存会



竹本鳴子太夫

 昭和24年2月27日生まれ。母の「何か芸を身に付けさせたい」という思いがきっかけで15歳ごろから三味線を習い始め、高校生のころから本格的に三味線を始めた。高校卒業後直ちに唐津市役所に勤務。3年後に結婚し、1男1女をもうける。市役所時代は家事と育児、そして後年は義父や実母の世話にかかりきりだったにもかかわらず、寸暇を惜しんで稽古をした。市役所時代には昼休みにも稽古した。またボランティアで職員や子供、お年寄りにも教えていた。そして、平成11年に博多座開局出演のため、芸一本の道を選ぶ。
 唐津市は近松門左衛門が幼少時に近松寺(きんしょうじ)で修行したり、遺髪塚があるゆかりの地であることから人形浄瑠璃と歌舞伎が盛んで、遠縁に当たる2代目鳴子太夫(男性)から何とか後を継いでほしいと頼まれて、周囲の反対に抗して20歳の時から義太夫(人形で言う"浄瑠璃")を習い始めた。昭和60年に80歳で亡くなった2代目の跡を継いで、平成元年に3代目を襲名した。
 初舞台は九電ホールで踊りの連れ弾きだったが、途中から頭の中が真っ白に・・・。立ての三味線の師匠から「弾くな、弾くな」と厳しい忠告を受けたという。
 84歳で人間国宝となった淡路島在住の鶴澤友路師匠(故人)と知り合ったのは、25年前。母鳴子太夫の影響と指導を受けて、三味線を習っていた娘の純子さん(鶴澤友理江)が鶴澤友路師匠の内弟子になってからで、親子共々の師匠として指導を受けた。
 歌舞伎や人形浄瑠璃の権威である景山正隆先生との出会いは名古屋公演がきっかけで、景山先生は友路師匠とは知己の間柄であることから、友路師匠が鳴子太夫を紹介したのだろう。  鳴子太夫が国見町田舎歌舞伎の人たちと知り合ったのは、中津市の「北原人形」の後継者育成事業の講師として28年以上前から三味線を指導し、中津市のユメタウンの近くの旅館に鳴子太夫が宿泊しているときに甲斐会長が国民文化祭での出演をお願いされたのがきっかけである。
 現在は非常勤特別講師として、唐津市内の小学校や公民館等での指導や唐津市の音楽教師全員38名に夏期講習で指導した。唐津以外では、福岡市西区の今津公民館で25年間小学生からお年寄りまで三味線と浄瑠璃を教え、鎌倉時代に起こった甘木市の「盆俄(ぼんにわか)」が35年前に復活(毎年10月第3日曜日公演)当初より指導を続けてきている。八女郡黒木町の笠原小学校では40年間(現在黒木小)人形浄瑠璃「傾城阿波鳴門」を教え続けている。また長崎県東彼杵町千綿(ちわた)中学校でも人形芝居を指導。熊本県の清和文楽館で開催された浄瑠璃フェスティバルでは監修を務め、九州浄瑠璃の総出演を果たした。大分県中津市の「北原人形」は、今では自分たちでできるようになり、"北原の万年願"では「太功記」、「傾城阿波鳴門」、「日高川(安珍・清姫)」、「櫓のお七」の4演目を繰り返し上演している。
 また、香川国民文化祭(平成10年)の出演を通じて知り合った大分県国見町の「公民大学歌舞伎教室」と「国見町田舎歌舞伎愛好会」を平成11年から指導するなど、九州全般の伝統芸能の後継者の育成に当たっている。等々、年々活動・活躍の場を広げており、さらに自宅近くの「鳴子太夫義太夫研究所」でも、週3回、小学生から高校生、一般を教えているので、毎日だれかを教えていることになる。超多忙な日々を送っている。
平成27年、佐賀県芸術文化賞受賞

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問い合わせ先
唐津人形浄瑠璃保存会 事務局
〒847-0043 唐津市新興町2889-16
太 田 弘 子
TEL 0955-74-1920

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