唐津人形浄瑠璃保存会



竹本鳴子太夫紀行
「ニューヨーク公演」を終えて

 はじめに 西日本豪雨で被災された皆様に心からお見舞い申し上げ一日も早い復興、復旧をお祈り申し上げます。
 さて、このたび思いがけず、ニューヨークで公演をする機会を頂き"唐津人形浄瑠璃保存会公演"として8名が渡米。
竹本鳴子 鶴澤友理江 池田禮子 中田扶美
大久保剛 面谷郁子 川原京子 五十嵐芳子
6月22日に出発、6月25日公演、6月28日に帰国しました。
 ニューヨーク出発間際まで面谷さんと私は、旅費や宿泊料等を少しでも安く済めばと添乗員の仕事にかかりきりでした。
 ハプニング続きの連続でしたが、ブロードウェイの "ど真ん中" のホテルに宿泊出来たのはラッキーでした。ミュージカル「シカゴ」鑑賞も歩いてすぐの劇場だったのです!!
 私は出発前夜に三味線等の荷造りをし、明日から本当に行けるのだろうかと不安がよぎり、肝心の稽古は、同行の皆さんも全くできないままの出発でした。
 しかしながら、今回のニューヨーク公演は、同行の皆さん共々、まるで奇跡のような旅となりました。
 渡米前は、大阪で地震、そして帰国後西日本豪雨。
 面谷さんは、ニューヨーク公演の疲れ一つ見せず、ボランティアとして広島に救援物資等を運ばれました。面谷さんは本当に"世話好き"で出発前日まで、一人暮らしの方のお世話等、ご自分のことなど一切考える方ではないのです。
 中田さん(能古島小学校)は、ご両親がご病気でニューヨーク滞在中も危ない状態でした。出発の丁度一週間前、お母様が危篤状態で、大変心配な中、不思 議なことに "ニューヨークにいって来るよ" "お土産買って来るね" の言葉でお母様は元気になられたのですが、帰国後、三週間後に旅立たれました。
 お父様も帰国後、翌日にご逝去。
 まるで中田さんをまっていらっしゃったかのように安心して旅立たれました。
 大久保さんも仕事、そしてご両親のお世話を日々なさっており、ニューヨーク滞在中は、他県からお姉さん方、そして姪御さんにご両親のお世話に来ていただき、初めての海外、しかも舞台出演。
 メンバー中、唯一の男性!!力強い存在でした。池田さんも ご高齢のお母様をショートスティに依頼されての渡米。音楽の先生であり、舞台のディレクターでもあり、連日朝早くからブロードウェイを中田さんと一緒に満喫されました。
 伊万里の川原さんも後見としてご参加いただきましたが、ご両親を亡くされ、ご苦労の多い中、明るくて、自分のことより人の為とがんばって来られた方で後見だけでなく、見事な中国語!!そして英語。それ以上に皆さんをエスコートしていただき有難いことでした。
 成田空港で合流しました新潟の五十嵐さん(ドナルド・キーンセンター、ボランティア)は、昨年6月初め、佐渡市の猿八座が、ロンドン公演をなさった時、ご一緒させていただきました方です。
 まるで母親か(私と年齢差9才)姉のような方で、五十嵐さんと出会えましたことは大変幸福なことでした。
 お嬢さんがニューヨーク在住で、やはり昨年ロンドンでご一緒させていただいたことから今回の公演と繋がりました。
 まるで"思いつき"のような今回のニューヨーク公演でしたが、帰国してからだんだんと公演の大成功は、親や師匠方のお陰だったと身に沁みて感じ、演目の「おさん茂兵衛」はもちろんですが、一曲一曲心からの拍手をいただき、"ニューヨークに行けてよかった"と有難く思います。
 今回の公演は、多くの方にご支援をいただきました。
 多方面への事務手続きや、ちらし・パンフレットの作成、又、ニューヨークの五十嵐さんとも絶えず、連絡・調整をしてくださった唐津市文化事業団の牟田さん。そして、家族の介護等、出にくい中を同行して下さった皆さんの"何がなんでも"という心意気、そして、公演前日、ホテルの地下室を借りての4時間の猛練習、様々な方々のお陰で、日系人会館満席の公演となりました。なにより、お越しいただいたお客様が、"楽しかった""楽しかった"と大変喜ばれ、"これから毎年来て下さいよ"と何度も仰って下さり、私達の方が大変嬉しい舞台となりました。
   
平成30年7月 竹 本 鳴 子




竹本鳴子太夫のロンドン・ケンブリッジ紀行

 ロンドンは世界中の人種が集まった「very very good city」です。人と人との繋がりの有り難さを改めて感動した旅でした。しかし、6月3日に起きたロンドンテロは、私達がロンドン橋付近に行った数時間後に起きました。犠牲になられた方々のご冥福とお見舞いを申し上げます。
 この旅行は、早稲田演劇博物館の主催による5月31日出発7泊8日のツアーでした。このツアーの目的は、国際交流基金が猿八座(新潟県佐渡)をロンドンへ派遣し、1962年に鳥越文蔵氏(早稲田大学名誉教授)が大英博物館で発見した作品「弘知法印御伝記」を大英図書館での復活上演を応援するものです。
 私は、鳥越先生に少しでもお手伝いになればとの想いもあり参加させて頂きましたが、反対に、先生から、最初から最後までお気遣いを頂き恐縮いたしました。本当に有り難くお優しい先生です。
 ニューヨーク総領事大使の高橋様ご夫妻も"楽しみにしておりました"と鑑賞していただき、"感動しました"とお礼の言葉を賜り、本当に有難く感激いたしました。
 人の心(情)を語る浄瑠璃等、国を越え、人権を越え、通い合える伝統芸能に関わられた幸福に感謝でいっぱいです。
 公演は6月2日、3日に行われ、ドナルド・キーン氏(コロンビア大学名誉教授・日本文学者・日本文化研究者)による講演、鳥越先生による公演作品発見秘話等の講演が開催されました。
 ドナルド・キーン先生とお会い出来きたことも夢のようでした。優しいまなざしで私のことを「じーっ」と満面の笑みで見つめて頂き、感動致しました。耳が遠くていらっしゃいますが、お元気にされていました。ドナルド・キーン先生は勉学に非常に厳し方と鳥越先生にお聞きしておりましたが、講演や舞台がお済になるとご気分がよろしくなられるそうです。私も講演後にお会い出来、幸いでした。講演後は、鳥越先生、ドナルド・キーン先生とも取材攻めにあわれました。ドナルド・キーン先生は95歳、鳥越先生は間もなく90歳を迎えられるにも関わらず、精力的に対応されいる姿に感動しました。
 猿八座の公演は素朴で素晴らしかったです。外国の方々は素直に舞台の応援をされ、身体から大きく感動を表現され、楽しんで頂きました。また私の着物姿は会う人ごと喜ばれ、「写真を一緒に撮らせて下さい」と笑顔で声をかけられたり、ハグされたりして若い女性の方たちにも大人気でした。唐津人形保存会がロンドンで公演できることになりますなら、さらに喜んで頂けることと夢に向かって精進を続けたく存じます。
 公演後は、ケンブリッジに向かいました。ケンブリッジは、ニュートン生誕の地でもあり、96名のノーベル賞受賞者を輩出されていると言うことです。学生たちは物凄く勉強をしています。ロンドンと違い、落ち着いた本当に歴史ある、勉強を一生懸命したくなる街でした。
 道中、一緒に過ごした早稲田演劇博物館一行の方々の中には、元草加市長さん、インド銀行のニューデリー支店長をなされた方、国連事務局にお勤めの方、東京国際文化交流協会の張志凡さんなど、素晴らしい方ばかりで、そのような方と仲良しになれたことは、これからの励みになりました。鳥越先生、ドナルド・キーン先生はじめ、筑波大学名誉教授の吉崎先生、ロンドン大学のガースト教授ほか、日本文化の研究者の方々との交流は宝物になりました。
 唐津人形浄瑠璃保存会の皆さま、そしてご支援して頂いている皆様のお陰でロンドン、ケンブリッジに行けました。本当に有り難うございました。
 イギリスでの一週間は、楽しく過ごすことが出来、同行して頂いた方々とお別れするのが淋しくなりましたが、皆さまが「唐津に来ます」と仰って頂き大変嬉しく帰路につきました。

ドナルド・キーン先生
 70年を超える歳月、日本文学や日本文化を一筋に研究し、海外に伝えてこられました。そんなドナルド・キーン先生の「人となり」や「作品・仕事」、先生の日本への思いを紹介した「ドナルド・キーン・センター柏崎」が新潟県柏崎市に開館されました。このセンターには、コロンビア大学に近い、ハドソン川の川辺に建つ由緒あるアパートメントの11階にあった先生の書斎がそのまま再現されています。70年を超える歳月、日本文学や日本文化を一筋に研究し、海外に伝えてこられました。そんなドナルド・キーン先生の「人となり」や「作品・仕事」、先生の日本への思いを紹介した「ドナルド・キーン・センター柏崎」が新潟県柏崎市に開館されました。このセンターには、コロンビア大学に近い、ハドソン川の川辺に建つ由緒あるアパートメントの11階にあった先生の書斎がそのまま再現されています。





「年末に向けて思うこと」
平成27年12月22日 寄稿

 今年もあと1週間となりました。
 年齢を重ねるほどにアッという間に1年が過ぎるようです。昨年と今年は、二人の兄も逝ってしまい、本当に信じられない早さで月日は過ぎてしまいます。
今年を振り返ってみますと、11月22日に開催いたしました「文化講演会 九州人形芝居フェスティバル」に全力投球の年でした。
 皆様のおかげで、大盛会で終わることができ、ホッといたしております。
佐賀県だけが人形がなく、他県の指導に行っておりましたが、今、地元で人形浄瑠璃をやれることを多くの方々に感謝申し上げます。

 さて、今年もたくさんの感動を頂きました。
 文化講演会等にご来唐頂きました早稲田大学名誉教授の鳥越先生が、唐津人形浄瑠璃保存会の会員になって下さったのです。本当に有難く、もったいないほどです。今回の文化事業関係で鳥越先生が唐津にいらっしゃった10日間は、何とも心が落ち着くというか、言葉で表現できない、昔懐かしい、不思議な感覚でございました。
 鳥越先生は、88歳になられ、足も少し不自由になられておられますが、奥様の介護を1年間なされ、本当にお優しい先生です。先生自身、病気で手術をされてからは食も細くなり、スリムな身体なのですが、内からわき出る情熱は、私達が神様や仏様に祈るように、鳥越先生は、近松門左衛門の研究をはじめ、学問で救われていらっしゃるのではないかと強く思いました。昔の本当の男気のある先生と出会え、学ばせて頂ける幸福が身に沁みて嬉しいことでした。
 また今年は、「平成27年度佐賀県芸術文化賞」を受賞することが決まり、(授賞式は平成28年2月7日)私の師匠の鶴澤友路様は、102歳の高齢なのに、一番喜んで下さいました。私もこれからも浄瑠璃の普及のために、更に精進して参りたいと決意しております。
 新しい年が、皆々様にとってお幸せな年でありますよう、心からお祈り申し上げます。





「病棟からの書簡・所感」
平成27年1月1日 入院先よりの寄稿

 平成26年12月24日のクリスマスイブの日、私は、左鎖骨部腫瘍摘出術のため、佐賀医科大学の整形外科に入院いたしました。
 12月の公演の、皿山人形保存会の長崎県エコ大会アトラクション出演、又、毎年恒例の「器替祭り」、そして、唐津の福祉施設「小春日和」慰問等が済んだ後、年末年始、稽古の空いた時間を利用しての入院でした。
 しかし、子供の頃から成人になるまで1回も病院に行ったこともなく、本当に自分が手術をせねばならないのかな~と、手術の前日まで何となく思っておりました。
 数ヶ月前から、首から肩にかけて少し、膨らんでいるのでは?と感じてはいましたが、痛くも痒くもなく、ある方は「三味線タコじゃない?」、又、ある方は「脂肪ではないか」と仰り、本人の私は、気にする暇もなく、毎日の稽古とご飯炊きに明け暮れておりました。
 ところが、11月23日の大分県国東での公演、翌日24日の福岡県久山町の公演で「高い声がちょっと出にくいかな」と感じ、楽屋の鏡で首を見ると、びっくりするほど急に大きくなっており、「喉を圧迫して、声が出しにくいのかも・・・手術をしたほうが良いかな?」と思ったことでした。
 入院翌日の12月25日、手術室に運ばれて、米倉涼子さん出演のテレビ 「Dr X」と同じく、「大きい手術室だなあ」と思っていたら、すぐ全身麻酔のために手術の不安も全く感じる暇もなく、気付いた時は、無事に済んだ後でした。
 医大の園畑先生、吉原先生、麻酔科の先生、看護師の方々は、とても親切です。
 術前、病院には私の仕事を申し上げておりましたので、術後はすぐ、「指は動きますか?」「声はだせますか?」と仰って頂き、指も動き、声も出せる安心に、「本当に有難いな~」と、大げさにいえば、「私は、守られているのではないかしら!」と感謝しました!!

 さて1年中、稽古や公演にあちらこちら駆け回っている私にとって、入院生活は、家族の世話をしてあげられないことは、申し訳ないなと思いながらも、より良い勉強の場となっております。
 病気をしなかったら出会うことのなかった交流です。
 今日は、そのお一人様をご紹介いたします。
 術後、6日目の私は、1階の売店に行こうと移動中、コンビニカードを持って降りたかどうか確認するため、途中の応接セットがあるところに座り、所持品を確認しておりました。
 そこで、点滴など器具を4~5本ぶら下げておられたMさんとお話しすることができたのです。
 Mさんは、O市で有機農業を営んでおられ、現在64歳。18年前に胃がん、そして今回は、食道がんの手術で、食道の代わりに小腸、その下に大腸と大腸を繋ぐという大変な手術をされ、術後2週間たってもまだ、水も飲めないという状態です。 大変な病気にもかかわらず、明るく楽しい方で、いろいろお話できました。
 Mさんは、奥様との離婚で、半年前から94歳の父親とご自分の2人暮らしになりました。
日頃は、毎日は、ご自分がご飯も味噌汁も作り、入院している間は、94歳のお父様も自炊されておられるそうです。
 更に、こんなことも仰いました。
 「親父は喧しく、腹もたつけど絶対、親父に勝ったらいかん!負けに徹しております」と…。そして、「昔は、老いては、子に従え」だったですよね。自分は反対で「老いても親に従え」ですと…。
 昔気質のMさんのような方は久しぶりで、別れた奥様のことも「あの人のお陰で自分の老後はあります」とも仰り、きっと奥様も良い方だったのではと思いました。
 Mさんには、私の仕事のこともお話させていただき、3月8日(日)唐津の「りふれホール」での「義太夫の会」、そして11月22日(日)の九州人形芝居フェスティバル公演も「是非、観に来て下さい!!」と御誘い申し上げましたところ、「O市のボランティアグループの方々や、知り合いの方にも宣伝し、必ず唐津にいきますよ!!」と申されました。
 平成27年も出会いを大切にさせて頂き、これまで同様、更に挑戦を続けていきたいと存じております。





竹本鳴子の独り言・つぶやき
平成26年6月7日 寄稿

 毎日、友路師匠(100歳)のことが思われます。会いたくて、会いたくて4月は又淡路へ参りました。
 師匠宅に着き、お元気なお顔を見て嬉しくてたまりませんでした。その日も徳島から二人、お稽古に見えておられ、お稽古が済み、私に「どうぞ」とおっしゃられました。が、友路師匠は「鳴子さんには、私が教わらんといかんさかい稽古はええのや」と勿体ないというか、有難た過ぎるというか、その言葉で、かくして前回も今回も友路師匠から、お話をいっぱい伺える淡路行きとなりました。

お話のひとつ目
友路師匠は、11歳(現在の小学校6年生)で大阪に修行に出ました。
 「同じ年頃の女の子があと二人修行に来ていたけど、とにかく厳しく、何事にもやかましい毎日で、おりきれずに辞めてしまい、自分一人が残った。今でも思い出すのは、二人の内の一人が夜尿症になり、それを治すために、師匠から布団を折りたたみ、背中にくくりつけられ、昼日中、大阪の町々を歩かせられたこと。その子も11歳で、身体は今のように大きくないけど、恥ずかしい思いはどれだけ大きかったかと。しかし、その子は辛い修業は辛抱できなかったけど、夜尿症は治った。今では考えられへんやろ」と。

お話の二つ目
 「今の小学生での修業も、自分は辛抱できたけど、母親がおとんぼ(末っ子)の自分が、淡路に一緒に居ないことで、頭がおかしくなってしまった。それで淡路に戻った。すると母親は、いっぺんに治ったなー。それからすぐ又、巡業に出ることになった」と。
 友路師匠に聞いておきたいことは限りなくまた、近いうちに、淡路に行けるようにしっかり働かねばと思っております。
 さて、6月19日(木曜日)は、仲代達矢様、仲代圭吾様、行代美都様が唐津市民会館で、舞台公演をなされます。 その前座公演として、私の創作浄瑠璃劇「鯛女房物語」を面谷郁子他の出演で務めさせて頂ける運びとなりました。 仲代達矢様の書かれた「遺し書き(のこしがき)」を読ませて頂きました。奥様(宮﨑恭子様)との思い出を書かれた本です。恭子様が仲代達矢様に送られた言葉。
 "次元を超えて「思いの濃い魂のための世界」があるかもしれません。長いこと有難う。また逢いましょう。最高の愛をこめて。"
 涙が溢れました。多くの方々に是非、読んで頂き、幸福な人生を送って頂きたいと心から祈りました。
 仲代達矢様は、昨年と、今年も、ご来唐頂けますが、どうか唐津市民会館に多くのお客様がご来場いただきますよう、心からお願い申し上げます。




友路師匠と私(竹本鳴子)のこの頃
平成26年2月14日 寄稿

 私の師匠は、淡路島在住の人間国宝・鶴澤友路です。
 100歳を過ぎた今でも三味線や浄瑠璃を毎日、教えております。
 もう100歳だから何時お別れになるかも知れないと、昨年(25年)末に孫の佐和子を連れ、淡路へ参りました。
 師匠に、「義太夫一筋の人生で何が一番心に残っている?」と尋ねたり、お話をいっぱいすることが出来ました。友路師匠は、戦前の辛い修業時代、大阪の山の中で、どうしても一度だけでも「回転焼」が食べたくて、食べたくて何度もその前を通り、決死の思いで買うことができた!!しかし買うことは出来ても、食べるところがなく、周囲は山の中でだれも見ていないのに「便所」で食べた、と。「おいしかった?」と私が聞くと、「おいしかったなぁー。何が思い出かと、これが一番だなぁー!!」と。
 20数年前、稽古に行っていた頃は、力みなぎられ、80歳前とは全く感じず、師匠のお身体、お心が「義太夫」そのものと魅了され、夢中になったものです。
 稽古をして頂いた中で、今でも忘れないのが寺子屋です。松王丸も源蔵も語れず、目の前の師匠から逃げ出したく、全身全霊で教えていただいているのを受け取ることができない自分の力のなさを痛感したものです。
 友路師匠と出会えたことは、私にとり、神様から頂いた宝ものです。そして「女義太夫」と呼ばれていた大先輩の師匠達に教わったことも、大きな財産になっています。
 義太夫を勉強することは、人として生きる道を勉強することと、多くの方との出会いで学ばせて頂きました。
 友路師匠の毎日も、「稽古している日のほうが"元気"」と、お世話をなさっている松並さまからお聞きいたします。
 私もたとえ一人の子供さんのためにだって、お役に立ちたい思いで、364日稽古に駆け回っておりますが、ここ近年は、そんな私に友路師匠から「身体を大事にせなあかんよ」といつも仰って頂き、まるで親のように有難く、もったいなく、こんな幸福でいいのかなあー」と思うこの頃です。

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問い合わせ先
唐津人形浄瑠璃保存会 事務局
〒847-0043 唐津市新興町2889-16
太 田 弘 子
TEL 0955-74-1920

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