唐津市人形浄瑠璃保存会
この寺は、ご本尊に釈迦牟尼仏を拝し、臨済宗南禅寺派 瑞鳳山近松寺と称しています。 創立は後二條天皇の乾元元年(1302年)と伝えられています。その約240年後の天文年間には、岸岳城主波多三河守が、博多にある聖福寺の湖心禅師の高徳を慕い、当時の堂宇を再建(唐津城中三ノ丸あたり)し、禅師を開祖として迎えています。しかし天正2年(1574年)の兵火にあいその後、荒廃します。 慶長元年(1596年)唐津領主及び長崎奉行の命を受けた寺澤公は、湖心禅師の高弟耳峰禅師が道学を備えていることを聞き、外国通辞として招請することとなり、禅師の近松寺再興の意に従って、慶長3年(1599年)に現在の地に再建され、寺田百石、山林を寺産に充て、菩提寺として篤く帰依されました。 しかし第二代堅高公の逝去により寺澤家は断絶し、近松寺も一時、荒廃します。第四世遠室禅師は、徳川家光公に近松寺興隆を懇請されます。これにより百石の御朱印を賜り、もとの姿にもどります。 その後、歴代の城主は、代々、帰依されますが、中でも文政元年第六代城主となられた小笠原公は、寺田百石を寄進されます、菩提寺として深く帰依されました。
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山門は、慶長3年、寺澤広高公により、名護屋城中の門を移築されたと伝えられています。
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