鬼子岳城跡 法安寺

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宗派 真言宗(善通寺派) 

開山 大正1212

本尊 大日如来   開僧 小野妙安

 由緒ある波多氏は没落以来確たる菩提寺すらないありさまであるが、有縁無縁の岸岳末孫と称する多くの輪塔が各所に散在して、今もって人々はたたりを蒙るといって恐れています。これは落城に際して無念の殉死をした家臣の怨霊がおさまるを得ずして成仏を求めているものという。

 当寺第一世住職小野妙安師が勤行中に忽然として神仏が現われ「成仏できない波多氏一族の霊を弔うために四季おりおりの花を植え、水を供え岸岳山中茶園ケ平に木標を立て供養してくれるように又滝場を作り十三仏様を建立して弔い八十八ケ所の霊場を作ってくれ」との霊感を受けられます。よって師は志をけっして波多氏一族の追善供養のため同志とはかり、大正12年(1923年)2月12日当寺を開山されました。

  本尊は大日如来というも実は岸岳悲劇の城主波多三河守をたとえたものです。

 昭和27年(1952年)は開山30年に当り、信者とはかり、釈迦涅槃の像をはじめ不動明王・弘法大師・蛇体不動等諸仏像百十数体を大石壁に浮彫りして、新四国八十八ケ所霊場を建立しました。なかでも釈迦涅槃の像は名実共に日本一の石仏と称せられ、その身長三十三尺(10m)顔の長さ五尺(1.51m)という巨大なもので、昭和27年2月12日開眼式が行われました。

現在では仏像が五百体にも及んでいる程である。境内一帯は、桜・梅・つつじ・あじさいが咲誇り荘厳と美観の霊域となっております。一方岸岳城跡登山口にあたり松浦党波多氏四百年の興亡を偲ぶ絶好のハイキングコースにもなっています。

 

   波多三河守(はたみかわのかみ)

岸岳城主波多三河守は嵯峨天皇の皇子源融(トオル)公を始祖とし七代の後孫源新太郎久公を党祖し、上松浦党の首領となる。文禄元年豊臣秀吉の朝鮮出兵の時あらぬ嫌疑を受け、直ちに所領没収、身は配流となり没す。遺臣ら此の冷酷非道の処置に憤激し再興を図るも成らず。五百有余年十七代波多氏も栄光の歴史を閉ず