22-8-15 自分の魂との出会い・・・・お盆<O-Bon> 
自己喪失、無縁社会の問題が顕在化するなかでは、お盆の役割は大きい。
 お盆は、それぞれの自分の先祖<先祖の無い人は無い>を迎え、もてなし、送り出す。この3ヶ日の営みのなかで、人は、何を感じることができるでしょうか。お盆の祖先また有縁、無縁の人との出会いは、自分のとの出会いでもある。
 つまり、人それぞれのDNA/宿業の出会いでもある。そして、その出会いやその営みのなかで感じとれるのが、単なる感情や思いではなく、それぞれが無限の祖先から受け継いでいる、それぞれの奥底に宿する<魂>である。 
 自分の魂との出会いのいい時期がこのお盆である。
HOME
Net 説法

22-4-15 私は、誰<DNA>・・・・

 私達には、母がいて、父がいて、今、私がいる。
そして、その親が居て、またその親がいた。その親たちを先祖という。こんなこと当たり前のことであり、誰もが知っていることである。人は、この様に、その先祖から出来てきたのであり、神が造ったものではないことは常識である。
 今、科学の進歩で、これまで、このことを、謎や不思議とされていたことが明らかにされてきたものがある。
 その1つが、DNA(Deoxyribon Nucleic Acid)の生命科学の進歩である。
 このことから、私達のDNAは、先祖からの蓄積されたものであり、私達の存在は、自分の先祖、そのものとも言えることが、今、実感できてきた。
 しかし、このことを、釈迦は、すでに2500年前に、人や生きとし生けるもの(衆生)の
「宿」、<syuku>として、悟り、説き明かしている。また、DNAには、それぞれの、特性、性向まで含まれていて、今の私達の生き方にも関わっていることである。
 釈迦は、これを「業」と説いた。所謂、「宿業」である。
この様に、私達は、自分の「DNA/宿業」を背負っての存在であることの自覚、認識が先ず必要であろう。
 そして、自分とは、何ぞや、誰ぞやの答えに迫っておきたいですね。
それぞれの家庭のお仏壇、お墓、そして先祖をお祀ってあるお寺は、自分の「DNA」との出会いの場です。そこで、 こころ、安らかに、素直な気持ちで、対面してみては、いかがでしょうか。何かを感じ、語りかけてくれるものがあるかもしれませんよ。

22-5-25 DNA/宿業の change & power up・・・・
 お釈迦様の悟りは、<四苦、八苦>であることから始まった。私たちは、日々のなかに、いろいろな悩みや不安、苦悩がある。お釈迦様も母を幼くして亡くされたことがその始まりであっただろう。人それぞれの苦のDNA/宿業を背負い生きている。・・・・5/23、after work
 DNA/宿業は、私たちの過去、現在、未来の総合物である。また、私たちの心の動きと共に、日々変化し生き続けているのである。満足、不安、後悔、なかでも、苦痛が伴っていれば最悪である。このことから、私たち誰しもが願うのが、平穏と云うことであろう。心と身との平穏が何よりであり、釈迦の求めた続けた理想の境地、仏の世界のであろう。
 釈迦は、この生きとし生きるもの「衆生」の理想の境地に至る道を説いた。これが、仏教であり、仏道である。そしてそれは、私たちそれぞれが、自分のDNA/宿業を磨き、輝かせることである。
 皆さんは、自分の磨き、輝きをどうしていますか?・・・・6/15,after work

 










 MAIL honryuji@po1.people-i.ne.jp