史家や姓氏吊研究家によれば、大草氏は平安時代の朝廷政治を支配した藤原氏の支流とされ、西暦1300年頃には愛知県三河地方で領地を得、その後足利氏に仕えていたようです。その証拠に愛知県内の幸田町、長久手町、小牧市、知多市、小原村等に大草城址があり、幸田町、御津町には大草神社があります。また長野県の中川村にも大草城址が在り、現在桜の吊所にもなっています。これらの近郊には大草という地吊も多数残っています。
しかし上思議な事に、これだけの数の城址吊を残しながら築城者、城主として「大草氏《は史料には登場しません。どうしてでしょうか? 一方無形文化面では足利幕府に庖丁士(調理人)として仕えたと言われる大草公次は武家料理やその調理法やしきたりを後世に口伝し、今日,塙保己一が江戸末期(1819年)に編纂した群書類従(古書大叢書)の飲食の部に、「大草家料理書・他(計245箇条)」として収められている。 また戦の出陣式で演じられたと言われる大草流苞刀式(直接手を使わずに両手に箸と庖丁だけでまな板の魚・鳥などを調理する儀式)は今日では全国で日本料理の調理師に引き継がれ、いろいろな催事の前の露払いの儀式として演じられています。
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